花鳥風月を基本にした単彩濃淡調
伝統工芸品「名古屋友禅」

実は1983年まで「名古屋友禅」という名はありませんでした。それまでは京都の問屋から名古屋の問屋に注文が入り、そこから職人が仕事をもらい、分業によって製品を作って京都の問屋に納めていました。名古屋でつくられた友禅は「京友禅」として全国流通していたのです。

1983年1月、名古屋にある友禅の3つの組合「黒紋付染」「小紋・型友禅」「手描友禅」が一つになって「名古屋友禅黒紋付協同組合連合会」を設立し、同年4月に「名古屋友禅」「名古屋黒紋付染」として伝統工芸品の指定を通商産業大臣から受けました。
これによって「名古屋友禅」という名称が使用されるようになりました。

名古屋友禅の特徴
名古屋友禅の特徴

名古屋地方の土地柄を反映した名古屋友禅の柄は、その独特の“渋”さが愛されています。
京友禅が華やか、加賀友禅が繊細であるのに対して、名古屋友禅は渋さをその本質とし、その独特の“渋”が愛されています。
手法は「手描友禅」と「型友禅」にわかれ、その名のとおり「手描友禅」は1つひとつ手で描くのに対し、「型友禅」は友禅模様を型彫りにした型紙を下絵の代わりに用い、絵柄をつけていく友禅染です。
300年以上続くこの伝統の技と美は、昭和58年に国の伝統的工芸品の指定を受け今日に受け継がれています。
[独特の渋さの由来]
名古屋地方の質素倹約を気風とする土地柄が色数を控えた単彩濃淡調の「渋い」色使いを生み出しました。

名古屋友禅の歴史
名古屋友禅の歴史

尾張藩主徳川宗治の頃(1730~1739年)、名古屋市を中心にした地域では尾張文化が華やかで、京都、江戸などから各種の職人が行き来していました。 友禅の技法もその時期に友禅士が従来し、その技法伝えられたと言われています。現在まで江戸時代末期の染色品が保存されています。また染色関係の品としては、 伊勢形紙の販売の記録が残されています。
名古屋で友禅染が定着した理由は、尾張・美濃が古くから絹織物の産地で、尾張藩の地上産業振興策により、生産が奨げきされたことなどがあげられます。

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